毎日の遺書

やがて伝説へ

2024/7/19

 今日は親が来ている。なんで死んだとしても口頭で言えるから遺書いらねえじゃん。

 いや、親1人しかいないから結局書かなきゃいけないんだった。

 いやーもうね。何書けばいいか本当に分からなくなってきたわ。迷走期です。自分は三日坊主と言われるのが嫌なので3日は続けるのだが、4日目以降は3日続いたって満足してしまうというろくでもない性格をしている。

 そしてもうかれこれ20日やっているのでそろそろ満足してしまいそうで怖い。

 でもこれだけ続けていると習慣づけられて行くとは思うのだが、実際やる気以上に書くことがないことが挫折の要因になりそうだ。

 

 結局のところ、毎日書くことは何かしら見つけられるだろうとは思っていたが、意外と新しいことって思いつかないものだ。

 だいたい書いててもう書いたことあるなって思うことが増えてきた。もしかして俺という人間は意外と薄っぺらいのかもしれない。やだなー。

 

 人と違うを目指しているはずの俺は結局凡人でしかないのかなと絶望に叩き落される契機のひとつだ。触れたくもない。

 でも、そんなに人と違うのがいいのかよ、と人は問う。あえて言おうそんなの当たり前だ。俺の世界観的に考えていることなんだが、世の中の人間全ての本体は魂で肉体はただの乗り物でしかないと思っている。ゲームと同じようにプレイヤーという体に乗り込んでいる感じかな。

 その中で体は遺伝子とかで完全にランダム要素であふれている。そして、どの魂が一番そのメリットデメリットを理解してこの世界にどれだけ爪痕を残せるかという競争をしているのではないかと考えている。

 どうだろう。これだったらゲームオーバーとか馬鹿らしくなるだろう。

 まあ、キャラ選択からやり直すという手としてはありなのかもしれないが、それは勝負師としの姿勢は問われると思う。

 この制限ある体というかスペックのなかで最大限を発揮するよう工夫する。

 どの分野だったら一番いい成績が残せるかきちんと判断する必要があるし、なんとも戦略にあふれた人気ゲームじゃないか。

 これだったらもっと生きるのが楽しくなると思うんだけど。

 

 

 意外と書くことあったな。

 でもこの思想だと、死というのは悲しむべき概念ではなくなるから遺書とかで最後の言葉を聞けなかったみたいな悲しみはなくなるだろう。

 だって、この理論でいけば人が死ぬということは競争相手が減ることになるからな。

 

 でもだからって遺書を書かなくていい理由にはならない。

 むしろ、少し有名になったときこの遺書がデジタルタトゥーみたいな役割を担ってくれて爪痕のひとつになる可能性が高い。

 よし、それだったらきちんと書き続ける必要があるな。それにどんどんあたまおかしい内容を書き続けていればちゃんと俺のことを知ってる人が見た時にさすがだなと思ってくれるようなものをこれからも書いていくとしよう。

 

 では、お先に。